Column

2024.08.01 update
人とクマが共に生きる未来をつくることを目指して

田中 純平ベアドッグハンドラー

野生動物に関する知識を社会に還元したくて

軽井沢星野エリアの一角にある『ピッキオ』は、ネイチャーツアーを開催するなど、自然を楽しむお手伝いをしています。ほかにも軽井沢町におけるツキノワグマの保護管理を行っており、そこで私は人の居住エリア近くにいるクマを森の奥へ追い払う仕事をしています。

きっかけは「軽井沢で人とクマの関係が大変なことになっている」と聞きつけたこと。軽井沢の半分は国指定の鳥獣保護区であり、ツキノワグマなどたくさんの野生動物が生息しています。一方、この地域は別荘地として開発され、住民が増え続けてきました。住民が増えれば、ゴミの量も増えます。20年以上前には、ゴミ捨て場の残飯を狙って住宅街にクマが現れるようになり、餌付けされることでクマと人との距離が縮まってしまった過去もあるのです。

その頃の私は、北海道の知床国立公園や大雪山国立公園などでの勤務を経て、北海道大学の大学院で大型野生動物を研究しつつ、自分の進むべき道について迷っていました。このまま研究者として歩んでいくのか、それとも現場に戻るのか。悩んだ挙句にたどり着いたのは、自分が得た知識を社会に還元したいという思い。それで軽井沢への移住を決意しました。

森の入口に建つ「ピッキオ野鳥の森ビジターセンター」

日本初の「ベアドッグ」導入が軽井沢のクマ対策を変えた

『ピッキオ』の一員になってから最も印象に残ったことを挙げるとすれば、やはり「ベアドッグ(=クマの匂いや気配を察知するための特別な訓練を受けた犬)」との出会いになります。

私が入った2001年当時は人間がクマを追い払っていました。警戒心が強く、夜になってから人里に降りてくるクマと暗闇の中で関わるのは難儀でした。知床に勤務していた頃はゴム弾や花火弾を入れた鉄砲を活用しましたが、軽井沢では銃刀法の関係で許されませんし、どこに潜んでいるかわからないから不用意に踏み込めない。そこで、2004年にアメリカのベアドッグ育成機関から日本で初めてベアドッグを導入。2頭のカレリアンベアドッグを譲り受け、私はベアドッグハンドラーとして訓練にあたりました。

ベアドッグはクマを察知すると、昼も夜も関係なく一気に突進し、強烈に吠えます。その迫力に圧されてクマは森の中へと逃げていく。私の任務は、ベアドッグと共にパトロールに向かい、人間が暮らすエリアに入ってこないようクマを追い払うことです。軽井沢では、あらかじめクマを捕獲し発信器を装着し、行動監視をしています。現在追跡中のクマは、約30頭。これも『NPO法人ピッキオ』が軽井沢町の委託を受けて20年以上やってきたツキノワグマ保護管理事業の一環です。

田中純平さんの相棒であるカレリアン・ベアドッグの「タマ」

クマと向き合わなければ、軽井沢の未来はない

私はクマの存在こそが軽井沢の魅力だと信じています。クマは森の恵みがないと子孫を残せません。クマがいるということは自然が豊かであるのと同じなのです。

クマを絶滅させたら、恐れず平穏に暮らせるのではないかという意見もあるかもしれませんが、私は人間が恐れるという感情を抱くことを尊いことと捉えています。さらに言えば、それを忘れた時、人は自然に対して傍若無人になってしまうのではないでしょうか。今、地球の温暖化が進み、さまざまな異常気象が発生していますが、これはまさに人が自然からしっぺ返しを食らっているということ。人が未来に生きるためには、クマとどのように向き合っていくか考えるべきなのです。

人とクマの共存を目指す『ピッキオ』では、クマの保護管理の全体像を理解するスタディツアーや、クマの追跡や捕獲の仕方を疑似体験するツアーを開催しています。海外の方は自然を守ること、動植物と触れ合うことに対する意識が高く、地域生態系の保全に取り組むモデルケースとして注目してくださっています。未来に向けたいい連鎖がさらに広がっていってほしい。そう願ってやみません。

ピッキオでは、クマと人との共存に向けた取り組みを学ぶスタディツアーを開催している
Profile

田中 純平NPO法人ピッキオ ベアドッグハンドラー

北海道大学大学院農学研究科修士課程修了。同大学院在学中は洞爺湖中島でエゾシカの個体群動態の研究を行う。知床や釧路の国立公園でヒグマやエゾシカ保護管理に従事した経験をもつ。長野県軽井沢町にあるピッキオに2001年から所属し、同町のツキノワグマ保護管理事業を開始時から推進。2004年には米国にあるベアドッグ育成機関と連携し、カレリア犬を用いたベアドッグ育成プログラムを日本に初導入。