History
星野エリアの始まり
星野家初代・嘉助(かすけ)が始めた製糸業で財を成したのを契機に、二代目の星野国次(くにじ)は、現在の星野の土地を取得。もし軽井沢に温泉があったら、温泉地としても避暑地としても、どんな場所にも負けない唯一の場所になると考え、温泉の掘削を開始しました。
星野温泉旅館開業
星野温泉に湯治に来る方のために、15室の和室と広間を持つ温泉宿を開業しました。
木製水車で自家用発電を開始
芸術自由教育講習会
北原白秋をはじめ、島崎藤村や山本鼎(やまもとかなえ)ら当時を代表する文化人が講師となり、全国から百余名の希望者を集めて開催。会場だった材木小屋はのちに、内村鑑三(うちむらかんぞう)により「星野遊学堂」と命名されました。
成功の秘訣
若き日の星野嘉政(よしまさ、三代目)に渡された内村鑑三筆の「成功の秘訣」。この書は、星野温泉の家憲として受け継がれ、石の教会 内村鑑三記念堂の展示室に今もなお大切に保管されています。
水力発電所の完成
星野嘉政は本格的なタービンを導入し、日本初の自家用小水力発電所を誕生させました。この発電所は現在もこの地にあり、発電機を入れ替えながら稼働を続けています。